いかすみのひとり言

興味ある事、気になる事の防忘録 450×253

2009-12-03から1日間の記事一覧

風呂の井戸

木曽義仲の乱入で京を追われた平家は再興の地を大宰府に求めたが 緒方惟義の反逆の為、芦屋から海路、柳ヶ浦着き内裏を定めた。 安徳天皇をはじめとする一行が旅の疲れを癒すために この井戸の水を風呂の用水にしたという伝承があります。 内裏⇒大里、風呂⇒…

甲宗八幡神社

貞観二年(860年)清和天皇の勅命によって建てられる 『甲宗』という名前は御神体である神功皇后の御甲(かぶと)によります この甲は50年に一度の大祭の日に御開帳され 最近では、平成二十年(2008年)に拝観することができました。 去年は、こういったのに関心な…

和布刈斜坑

踏切をみると、平成筑豊鉄道の管理となっています もう一方の立入禁止の看板は北九州市港湾管理局 画像では読めませんが「和布刈斜坑」と記されています 場所からして山陽新幹線の関門トンネルに通じていると思います。 和布刈斜坑からカーブを抜けると やま…

農林省米穀倉庫

大正十年に制定された米穀法を受け、全国七ヵ所に設置された国立米穀倉庫 大正十五年第一期五棟竣工、翌年に第二期五棟も完成 戦災により八・十号棟以外は焼失しましたが 当時の面影を残すように復旧されたそうです どれがその八・十号棟なのかは判りませんで…

貨物線廃線跡 田野浦海岸

10年ぐらい前に行った時は、まるで路面電車のようでいたが 今はわずかにその痕跡を残すだけでした。 その頃でも路線を走る貨物列車は見たこと無いのに踏切などがあり これは何なのだろうと思たものですが 検索してみると、長らく廃線ではなく休止線だったと…

部埼灯台

安永6年(1777年)、豊後に生まれた太兵衛は、誤って友人を殺してしまう このことがきっかけで僧侶となり 天保9年(1838年)高野山へ向かう途中、この場所が航海の難所と知り 亡くなる嘉永3年(1850)までの毎夜山の上で火を炊き続けました。 托鉢による僅かな、収…