こちらも茶屋町橋梁跡と同じく九州鉄道大蔵線の橋梁跡ですが
北九州市による史跡指定はおこなわれておらず
小学校の記念事業の一環として建てられた碑が設置されていました。
遺構としてのみ残っている茶屋町橋梁跡とは違い、尾倉橋梁は道路として利用されています
皿倉山側から見て右側の階段を登ると橋梁の上に登れます
左内側面は倉庫になっているようです
反対側から見ると上部に住宅が建っているのが分かります
この橋梁も将来の複線化を見込んでの『下駄っ歯』があります。
茶屋町橋梁跡にても尾倉橋梁にしても付近の道路は車でよく通行していたのに
その存在は、まったく知りませんでした
徒歩や自転車なら、ちょっと寄り道気分で一歩道に入り込んだりして妙な物が残っているな?
と気づくことがあったかもしれませんね。
九州鉄道茶屋町橋梁跡についてはこちら2009.09.13
仕事が無かったら、この後レベスタに行きたかったのだけど…
参考文献;北九州の近代化遺産
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