いかすみのひとり言

興味ある事、気になる事の防忘録 450×253

製鉄所炭滓線(製鉄くろがね線)

1930年(昭和5年)八幡製鉄所から排出される
石炭殻、鉱滓(スラグ)を戸畑・日明の埋立地へ運ぶ為の構内鉄道
現在は、奥側のワーレントラス橋梁が使用されています
開業当時は、タイドアーチ橋は少なく珍しかったそうです。
その後、エネルギー転換により石炭は使用は減り
鉱滓も道路の路盤材等にリサイクルされはじめる等ともに
八幡と戸畑の事業分担も変わり
銑鉄を戸畑から八幡への輸送にシフトして行ったそうです
それに合わせ重量増に耐えるワーレントラス橋梁への架け替え昭和47年7月に完成
製鉄所内で一般公募により『くろがね線』と名称が変わったそうです。
私が普段使用している道路マップには『新日鉄鉱滓線』と記されています。
JR枝光駅前の県道50号線と交差していますが、ここには西鉄路面電車の戸畑線が走っていました
北九州が最盛期の頃には、くろがね線、ちんちん電車、国鉄車両が交差・並走するのが見れたのでしょう。
2009/10/13 12:05

2009/10/13 12:10(八幡方面へ)

2099/10/13 13:31(八幡方面へ)

宮田山トンネルは平成19年に経済産業省より「近代化産業遺産群」認定されました
その他にも八幡製鉄所関連で8件認定されているそうです
見えませんが内田三連橋や石坂トンネルのように認定プレートが設置されているのでしょうね。
枝光側と戸畑側で異なる意匠が施されています
今でこそ周りは住宅地で人目につく場所ですが、当時はどうだったのでしょう?
客車を牽引することのない構内専用鉄道に一見無だとも思える
装飾を施すよゆう(単に威光の誇示かも)がこの頃はあったのでしょうね。
周辺への騒音対策の為か非常にゆっくりと走っていますが全線この速度なのでしょうか?
牽引車の先頭は電気気動車、最後尾にディーゼル車は連結されていました。
どの程度の頻度で運行されているかは判りませんが
今日見た状況だと八幡方面に行った貨車は30分程で戸畑へ折り返して来ました。
参考の為確認したファイルに残る時間を記しておきます。

宮田山トンネル:枝光側

2009/10/13 12:37

宮田山トンネル:戸畑側

2009/10/13 14:12

福柳木変電室
くろがね線は、電気鉄道(直流600V)です、この変電所も古い建物に見えますが
現在も電力を供給しているかは、分かりません。

参考文献:
北九州の近代化遺産 著者:北九州地域史研究会 出版社:弦書房
北九州市史跡ガイドブック 編集:発行 北九州市教育委員会

くろがね線見たまま時刻まとめ