いかすみのひとり言

興味ある事、気になる事の防忘録 450×253

2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

日田彦山線と北九州モノレール

タイミングよければ モノレール回送と日田彦山線が並走

志井の井戸

正しい順番は判りませんが須賀神社に近い順に ここを流れる志井川には親水整備されている場所もあります

風呂の井戸

木曽義仲の乱入で京を追われた平家は再興の地を大宰府に求めたが 緒方惟義の反逆の為、芦屋から海路、柳ヶ浦着き内裏を定めた。 安徳天皇をはじめとする一行が旅の疲れを癒すために この井戸の水を風呂の用水にしたという伝承があります。 内裏⇒大里、風呂⇒…

甲宗八幡神社

貞観二年(860年)清和天皇の勅命によって建てられる 『甲宗』という名前は御神体である神功皇后の御甲(かぶと)によります この甲は50年に一度の大祭の日に御開帳され 最近では、平成二十年(2008年)に拝観することができました。 去年は、こういったのに関心な…

和布刈斜坑

踏切をみると、平成筑豊鉄道の管理となっています もう一方の立入禁止の看板は北九州市港湾管理局 画像では読めませんが「和布刈斜坑」と記されています 場所からして山陽新幹線の関門トンネルに通じていると思います。 和布刈斜坑からカーブを抜けると やま…

農林省米穀倉庫

大正十年に制定された米穀法を受け、全国七ヵ所に設置された国立米穀倉庫 大正十五年第一期五棟竣工、翌年に第二期五棟も完成 戦災により八・十号棟以外は焼失しましたが 当時の面影を残すように復旧されたそうです どれがその八・十号棟なのかは判りませんで…

貨物線廃線跡 田野浦海岸

10年ぐらい前に行った時は、まるで路面電車のようでいたが 今はわずかにその痕跡を残すだけでした。 その頃でも路線を走る貨物列車は見たこと無いのに踏切などがあり これは何なのだろうと思たものですが 検索してみると、長らく廃線ではなく休止線だったと…

部埼灯台

安永6年(1777年)、豊後に生まれた太兵衛は、誤って友人を殺してしまう このことがきっかけで僧侶となり 天保9年(1838年)高野山へ向かう途中、この場所が航海の難所と知り 亡くなる嘉永3年(1850)までの毎夜山の上で火を炊き続けました。 托鉢による僅かな、収…

北九州の干潟BOOK

女子高生(たぶん)が「ここまでやっちゃう!?」「こんなのはじめて!」とか宣伝していたので 期待(何を?)してクエスト鞘ヶ谷店へお買い物 北九州高校・魚部 企画・編集 冒頭に 「そうした記録を残しておこう、市民の方々にも知ってもらおう。 どこか遠くの壮大…

菅原神社 その2

こちらは、古船場町の菅原神社とは別で戸畑区にあります。 文京の祖神、菅原道真公が大宰権師(ダザイゴンノソシ)として左遷され 京都より大宰府に赴く折、当地に一泊されたと伝えられ、公没後その遺徳を偲んで建立された。 と案内板にあります。 道を挟んで…

くろがね線

無蓋貨車、戸畑工場にて

西鉄路面電車 戸畑線跡

以前にくろがね線を跨ぐ橋に西日本鉄道と書かれた橋歴板を見かけましたが そこより、さらに小倉市街方面にある境川に架かる車道にも 路面電車廃止後は、バス専用道路でしたが、今は一般道路 その頃車道だった道路は歩行者専用に 真颯館高等学校手前に行くと…

戸畑へお買い物に行ったら

女子高生(たぶん)が「ここまでやっちゃう!?」「こんなのはじめて!」とか宣伝していたので 期待(何を?)してクエスト鞘ヶ谷店へお買い物

菅原神社

モノレール旦過駅付近から見えるので 神社があるのは知っていたけど ホームページによると特に菅原道真公に何らかの所縁がある訳では無く 慶長七年(1602年)細川忠興が城下民へ信仰をすすめたのが始まりらしい。 北九州市には、戸畑区にも『菅原神社』があ…

井筒屋小倉店

JFL昇格時のように地階でセールやってるかな?と思ったけど 今日は行っていなくて いつもの回転台・量り売りのお菓子を買い 見習いちゃんと水環境館へ このお菓子の回転台、私が子供の頃から見るけど その頃は、もっと中央にあったのに今は隅っこと少し寂しい…

J2昇格おめでとう

FM KITAQにて当選したプレゼントを受け取る為お出かけ FM KITAQは、九州リーグの頃からNW北九州の応援番組や スタジアムDJの方がスポーツ情報番組を放送している コミュニティーFMです