いかすみのひとり言

興味ある事、気になる事の防忘録

遺構・建築・廃線跡

さようなら前田有楽映画劇場 閉館イベント

イベントの内容が変更となりました 北九州市八幡に唯一残る 単館の映画劇場 6月27日に閉館しますが 29日に有志のみなさんによる 閉館イベントが企画されています。 残念な事に建物は取り壊しが決まっているそうです。

紫川のめがね橋と菅生の滝 2019年5月16日

小倉南区春吉の紫川上流に大正8年(1919)3月に完成した石造二連アーチ橋。春吉の渡上(わたりあがり)地区にあったので旧名は渡上橋。それまでは板を渡しただけの簡単な橋であったが、大正6年6月、子守の女の子が転落死したことから、春吉の人々が寄付を出…

田川市松原旧三井田川鉱業所 炭鉱住宅

取り壊し中の旧三井田川鉱業所を見に行った 作業現場は防護壁で仕切られていますが、中の様子が見える隙間が一部ありました 大半は取り壊しが完了していましたが、まだ残っている炭住も見えました まだ数棟残る炭住と建て直しされた市営住宅 取り壊し前の様…

三井田川炭鉱 松原炭鉱住宅

西日本新聞5月19日の記事 炭鉱長屋(炭住)をイメージした「炭住ホテル」に滞在し 炭鉱で使われた私製紙幣にちなんで発行される地域振興券「炭券」でお買い物‐。 かつて日本経済を支えた石炭の文化を生かした福岡県筑豊地方のまちづくりプランを 国土交通省…

お糸池

国道322号からも堤は見えるお糸池 池を作るため堤防を築くも、大雨が降ると堤防は流失 相次ぐ堤防の流失を防ぐために村の少女が人柱となる。 お糸が人柱となった堤防は流失することもなくなり 池は日照りが続いても涸れることはない。お糸地蔵は、旧322側JR…

石灰石の積出し?

小倉から国道322号を夏由方面、金山トンネルの少し前 左手に見えるこれが気になるので見に行ってみた。 竹やぶを書き分け進むと 境界杭が鉄道があったと言う事は石灰石の積出し線だったのか? 20分程で建築物に到着 R322を見たところ そこから山側を奥の方は…

貨物線跡 小倉北区原町〜中島

書籍『昭和39年の北九州と現在の北九州』を見ると 日豊本線のJR小倉工場付近の原町から分岐して安川電機(小倉造兵廠跡)と 今のTOTO北九州工場の近くに十条製紙の工場があり貨物線らしき線路も通っています。 貨物線の跡地は『原町緑道』となり、ここで日豊…

九州鉄道城山(じょうやま)峠旧線煉瓦橋梁

鹿児島本線の下りは、海老津駅を出るとトンネルに入りますが 九州鉄道の遠賀川〜博多間が開通した明治23年(1890年)は トンネルではなく城山峠を越えていたそうです。 以前は、このような橋梁が多く残っており、気にもしていなかったのですが 周辺の道路整…

安浦神社

鳥居などに残る傷跡は米軍の機銃掃射の跡だそうです 一般住宅の塀に残る機銃の跡もあるそうで 見に行きましたが、私はどれがそうやら判りませんでした。

稲童地区の掩体壕

稲童一号掩体壕、前回に来た時はあった、進入規制の柵が無くなってる 行橋市と書かれた車が止まっているから市の職員?何かやってる 駐車場に設置されている、周辺の戦争遺構の解説地図 今回は、海岸側から探してみると海へ延びる一本の舗装路が 私有地のよ…

紫川橋梁 日豊本線

煉瓦・石積みの橋脚とコンクリがあるのは、竣工時期に違いがあるの それとも補修の為でしょうか? 日立の工場裏の小川でカワセミが餌を取っていました。

新日本製鐵紫川取水場ポンプ室

大量に工業用水を必要とする八幡製鉄の為に1918年(大正7年)に建設 紫川貴船橋近くにあります。 参考文献:北九州・筑豊の近代化遺産100選

小倉北消防署熊谷出張所 松本零士壁画

ん〜どこかで見るモチーフだなと思ったら やっぱり何かと登場する松本零士だった。 君たちは夢をどうかなえるか【電子書籍】[ 松本零士 ]君たちは夢をどうかなえるか【電子書籍】[ 松本零士 ]

山田弾薬庫廃線跡

書籍、昭和39年の北九州と現在の北九州を見てみると小倉南駅から山田緑地に向かって線路が延びてる 山田緑地は、元々日本陸軍の弾薬庫だったものを敗戦後、米軍が接収 その後変換され、その一部が市有地として整備開放されものです。 たまに通過する時は、何…

西鉄北方線跡

道路工事で北方線の線路が露出してると聞いたので行ってみた 残念遅かった、枕木は運び出される前だった このまま帰るのもなんなので、周辺を散策 どれ位前のだろう?局番が二桁・香春口電停前 昔の電気配線は、電材の質が悪かったので碍子を使って建材に触…

岩石橋梁

現在は車道に変わった跨橋の標識が「国鉄」 以前に書いた油須原線の橋梁跡もここです 添田線と油須原線が合流するのがこの辺りだったと思われます 黄色の歩道が線路跡、大任駅跡に向かって進みます。

民間工場・小倉造兵廠の施設

小倉造兵廠の施設としして利用されていたそうです 現在は、民間企業が使用しています。 参考文献:北九州・筑豊の近代化遺産100選

小倉陸軍造兵廠跡

白洲灯台 復元

旧第十二師団司令部の正門・小倉城鉄門跡

明治31年(1898)小倉、久留米、大分、佐賀の各連隊や下関要塞砲兵連隊をもって第十二師連隊がうまれ その司令部庁舎が小倉城本丸跡に建てられました 軍医部長を務めた森鴎外も、この煉瓦造りの正門を通って登庁しました。 藩主および家老など、限られたもの…

かねやす百貨店

隣のビルが駐車場になっていたので隠れていた側面が見れた屋上に見えるのは、防空監視哨 米穀店だった、かねやすは百貨店事業に乗りだし 鉄筋コンクリート造7階建のビルを1936年(昭和11)に建築するも 1952年(昭和27)に発生した火災により深刻な影響を…

小倉市の市章入り水道管 小倉北区

砂津川に架かる水道橋 1952年に水道管は付け替えられたそうですが 橋台は、それより以前のもののようで、周辺の橋と違い石積みとなっています。 参考文献:北九州・筑豊の近代化遺産100選

呉貯水池

呉川眼鏡橋の案内看板より 『呉川の「呉」とはこの地をさす言葉で古くは呉姫の伝説からその名が付きました。 ここを流れる川を呉川と言い金辺川さらには彦山川と合流し遠賀川に注ぎます。』 呉川を上流に進むと呉貯水池です。 呉川眼鏡橋の橋桁は、現在アス…

仲哀随道

香春町側には、案内板が設置されています 仲哀峠の名の由来は古く日本書紀の頃に遡るそうです。 香春町側 トンネル内は通行禁止となっていますが、経年劣化はあるものの通れそうに見えます。 新仲哀トンネルを通って勝山町側に行ってみると 入り口は煉瓦が積…

呉川眼鏡橋

仲哀随道建設部材運搬の為に、1886年(明治19年)に築かれる 福岡県に現存する石橋は約54基(人目に付き難い山間部を除く)現存していますが その多くの50基が県南の筑後地方に集中しており 県北では、遠賀川水系に二基(ここを含む)と小倉南区の紫川の春吉眼鏡橋…

六十尺 第二金辺川橋梁 日田彦山線

欅坂橋梁のすぐ隣にある橋梁 橋脚の幅が広く、金辺トンネル同様将来の複線化を見込んだ作りとなっています 橋桁の長さが60尺(18m)あり川面からの高さとほぼ同等 竣工された1915年(大正4年)では大鉄橋だったそうです。 参考文献:筑豊の近代化遺産

欅坂橋梁 日田彦山線

小倉鉄道時代に竣工された 現存する、ねじりまんぽ工法の橋梁では最大級の部類 北九州市内だと、JR折尾駅近くに残る西日本鉄道折尾高架橋もねじりまんぽ構造となっています。参考文献:筑豊産業遺構めぐり

苅田港線 貨物線跡

国道10号線、京都郡苅田町のパチンコ店やファミリーレストランのある所 一時停止したり、しなかったりと判断に迷う車をよく見た あの踏切がいつの間にか隠蔽されている 線路跡を南西に行くと住宅地を通り、小波瀬西工大前駅の手前で日豊本線と繋がっています…

欅坂トンネル 日田彦山線

小倉鉄道時代から残る、ねじりまんぽの橋梁 香春町の国道322号沿いにあるのですが 見落としがちな場所にあり『筑豊産業遺産めぐり』を読むまで気づきませんでした 小雨降る暗い曇り空と周辺の駐車車両の為に画像は次回にして 動画を撮ってみた。 北九州市内…

西鉄路面電車148号

北九州市立交通科学館は2004年に閉館され 今は民間のスパ&スポーツジムとなっています 交通科学館の頃には、この電車以外にH2ロケットの模型とディーゼルDD11が展示されていましたが H2ロケットは閉館後まもなく、DD11はいつの間にか撤去されました。 …