いかすみのひとり言

興味ある事、気になる事の防忘録 450×253

日常

甲宗八幡神社

貞観二年(860年)清和天皇の勅命によって建てられる 『甲宗』という名前は御神体である神功皇后の御甲(かぶと)によります この甲は50年に一度の大祭の日に御開帳され 最近では、平成二十年(2008年)に拝観することができました。 去年は、こういったのに関心な…

和布刈斜坑

踏切をみると、平成筑豊鉄道の管理となっています もう一方の立入禁止の看板は北九州市港湾管理局 画像では読めませんが「和布刈斜坑」と記されています 場所からして山陽新幹線の関門トンネルに通じていると思います。 和布刈斜坑からカーブを抜けると やま…

農林省米穀倉庫

大正十年に制定された米穀法を受け、全国七ヵ所に設置された国立米穀倉庫 大正十五年第一期五棟竣工、翌年に第二期五棟も完成 戦災により八・十号棟以外は焼失しましたが 当時の面影を残すように復旧されたそうです どれがその八・十号棟なのかは判りませんで…

貨物線廃線跡 田野浦海岸

10年ぐらい前に行った時は、まるで路面電車のようでいたが 今はわずかにその痕跡を残すだけでした。 その頃でも路線を走る貨物列車は見たこと無いのに踏切などがあり これは何なのだろうと思たものですが 検索してみると、長らく廃線ではなく休止線だったと…

部埼灯台

安永6年(1777年)、豊後に生まれた太兵衛は、誤って友人を殺してしまう このことがきっかけで僧侶となり 天保9年(1838年)高野山へ向かう途中、この場所が航海の難所と知り 亡くなる嘉永3年(1850)までの毎夜山の上で火を炊き続けました。 托鉢による僅かな、収…

菅原神社 その2

こちらは、古船場町の菅原神社とは別で戸畑区にあります。 文京の祖神、菅原道真公が大宰権師(ダザイゴンノソシ)として左遷され 京都より大宰府に赴く折、当地に一泊されたと伝えられ、公没後その遺徳を偲んで建立された。 と案内板にあります。 道を挟んで…

菅原神社

モノレール旦過駅付近から見えるので 神社があるのは知っていたけど ホームページによると特に菅原道真公に何らかの所縁がある訳では無く 慶長七年(1602年)細川忠興が城下民へ信仰をすすめたのが始まりらしい。 北九州市には、戸畑区にも『菅原神社』があ…

その他見かけたもの

井戸を探していている途中で、いくつかのため池と 『旧志井小学校跡地碑』『志井鉱山開発碑』 畑の中に『恵比寿神社』と煉瓦積みのこの穴は何の跡 志井鉱山は、この近辺で石灰石の採掘を行っていた鉱山と碑の裏側に書かれていました。

多賀神社

前回来た時と様子が違うぞ 四人の氏子が、その年に収穫された新米を おのおの井戸で洗い清め多賀神社の神様へお供えする神事 『大御饌供進』(おおみけぐしん)が行われたのでしょうか? この四つの井戸の内、二つは前回見たので残りの二つを探す 多賀神社を…

高崎駅

特急草津 SLみなかみ号 SL人吉号やSLやまぐち号に比べたら客車がそれっぽくないですね 私が高校生だった頃は、こんな客車が当たり前のようにディーゼル機関車に引かれていました。 画像は撮れなかったかったけど、上信電鉄の銀河鉄道999ラッピング電車も見れ…

上野駅

スーパーひたちと名前忘れた

お城だ!お城

ありがちな話に「パパぁ、あのお城に行きたい」と子供に言われて… というのがありますが 実際、自分がお父さんになった時には、そんなお城は姿を消したなと…思っていたら 笠岡にはまだあった、残念な事に閉館されていますが

多賀神社

四人の氏子が、その年に収穫された新米を おのおの井戸で洗い清め多賀神社の神様へお供えする。 この神事から、志井(四つの井戸)という地名がついたそうです。 この四つの井戸は現存していると、先日CATVで見ましたが 映像以外具体的な場所の紹介がなかった…

安徳天皇御陵

市政だよりを読むと しびきせ祭 12月15日(火)13〜14時、薬師寺(小倉南区隠蓑)とある。 源平合戦で敗れた平家の一門は、安徳帝は入水したと偽り 安住の地を求め隠蓑の里にさしかかりました。 源氏の追っ手が迫っているのを知った里びとは、ワラの中に安徳帝を…

起業祭・工場見学

新日鐵八幡工場の工場見学へ こちらもやっぱり人が多い 加熱炉から、1300℃に焼けた真っ赤な鉄が鉄道レールに加工されていく様子を見学 焼けた鉄が目の前を通る時、その熱が見学通路まで伝わり顔が熱い 二人は工作車の試乗より、こちらの方が楽しかったそうだ…

昇格二発なるか?

サッカー女子なでしこリーグ二部の福岡J・アンクラス 11月01日13:00の最終戦は勝利を条件に一部への自動昇格が掛かった試合なんだ アンクラスの試合は見たことないけど これは面白そうだな そしてニューウェーブ北九州 J以外は熱いシーズン終盤の11月。

不謹慎な事とは思いますが

今、飲んでなければ 関門海峡に行っただろうな 第七管区か北九州消防局所属は分からないけど 消防船が出動しているらしい なかなか目にする機会はないもんな。

Wavyくん車両

車両車庫があるのは、木屋瀬電停じゃなくて楠橋電停だった Wavyくん車両は1,2台かと思っていたら 結構な数が車庫にあり、走行中のものあった ペイントやラッピングではなく差換えポスター方式のようです。 しかし車両も変わっているな、馴染みある筑豊電鉄の…

旧松本家住宅

陽射しも射す良い天気だったのですが 内部見学をしているうちに、曇りから小雨へ 松本健次郎が事業の拠点を戸畑に移す以前の戸畑市は 八幡市、若松市、小倉市に比べ農村然とした所だったそうです。

くろがね線と廃線跡

くろがね線の線路を追っかけていたら このようなものが(橋歴板と言うそうです) 西鉄の路面電車が走っていた橋だ 画面左側車線(小倉方面(上り))が『中原ご線橋』、右側の車線(下り)は別の橋梁になっています 下を走るは、くろがね線 路面電車の廃止後は、バス…

世界遺産国際シンポジウム「九州・山口の近代化産業遺産群」における北九州市の役割

シンポジウムの案内ポスターを見るまで、そんな活動が行われていた事を知らなかった 各地域単体では無理があるので広範囲に分散する複数の遺産を 一つの遺産群として世界遺産に登録する手法シリアル・ノミネーションで 萩市から鹿児島市までの6県12市の近代…

旧戸畑市役所庁舎

戸畑市役所庁舎として1933年(昭和8年)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建て 五市合併当初は、北九州市役所・本庁舎の時期もあったそうです その後は戸畑区役所となっていましたが 現在は新戸畑区役所庁舎が斜め向かい(撮影場所)に移転しています これもま…

爆発踏切 JR九州 日田彦山線

通称ではなく、正式に付けられている名称です 裏側の古くなった塗装面にも僅かに『爆』の字が読めます。 名称の由来は、1945年11月12日二又トンネルにておきた爆発事故と思われます。 トンネル内には、陸軍小倉兵器補給廠山田填薬所より空襲を免れる為に火薬…

彦山駅 JR九州 日田彦山線

三連休の最終日なので、人が多いと思いきや 駅舎内の食堂も早々に暖簾をしまう程、静かでした 途中の道の駅『歓遊舎ひこさん』は入車待ちの車が並ぶほど多かったのに この、道の駅小さな遊園地が併設され、目の前の彦山川が遊水地整備されたりと お子様連れ…

ほたる館

ホタルの折り紙教室に参加 見習いちゃんも喜んで楽しかったけど この折り方をあみ出すまでのその他もろもろの話のが面白かった 折り紙も基本となる折り方があるそうで その一つが鶴、この蛍も鶴から試行錯誤して出来たとか。

折り紙ホタルとトロッコ列車

今日は一日子守の日 こどもと一緒に北九州市立ホタル館と赤村トロッコ列車【送料無料】ビコム 平成筑豊鉄道 田川線・伊田線・糸田線/鉄道[DVD]【返品種別A】

平成筑豊鉄道 糸田線 田川後藤寺駅

糸田線の終着駅 ここでJR日田彦山線、後藤寺線との乗り換えます 昔は『後藤寺駅』という名称だったそうで田川地区の鉄道の基地で 機関区をはじめ多くの機関があった 0番〜4番まであるホームの屋根は古そうで 多くの引込み線があります。

平成筑豊鉄道 糸田線 大藪駅

新設(平成2年(1990年)10月1日)された駅

平成筑豊鉄道 糸田線 糸田駅

駅舎には『グリーンドーム糸田』という名称が付いています 駅社内に理髪店がある駅 開業は古く明治30年(1897年)10月20日だそうです。

平成筑豊鉄道 糸田線 松山駅

新設(平成9年(1997年)3月22日)された駅 目の前に広がる田んぼのと歩道橋 『カモの駅』との愛称があるそうです。