2009-01-01から1年間の記事一覧
タイミングよければ モノレール回送と日田彦山線が並走
正しい順番は判りませんが須賀神社に近い順に ここを流れる志井川には親水整備されている場所もあります
木曽義仲の乱入で京を追われた平家は再興の地を大宰府に求めたが 緒方惟義の反逆の為、芦屋から海路、柳ヶ浦着き内裏を定めた。 安徳天皇をはじめとする一行が旅の疲れを癒すために この井戸の水を風呂の用水にしたという伝承があります。 内裏⇒大里、風呂⇒…
貞観二年(860年)清和天皇の勅命によって建てられる 『甲宗』という名前は御神体である神功皇后の御甲(かぶと)によります この甲は50年に一度の大祭の日に御開帳され 最近では、平成二十年(2008年)に拝観することができました。 去年は、こういったのに関心な…
踏切をみると、平成筑豊鉄道の管理となっています もう一方の立入禁止の看板は北九州市港湾管理局 画像では読めませんが「和布刈斜坑」と記されています 場所からして山陽新幹線の関門トンネルに通じていると思います。 和布刈斜坑からカーブを抜けると やま…
大正十年に制定された米穀法を受け、全国七ヵ所に設置された国立米穀倉庫 大正十五年第一期五棟竣工、翌年に第二期五棟も完成 戦災により八・十号棟以外は焼失しましたが 当時の面影を残すように復旧されたそうです どれがその八・十号棟なのかは判りませんで…
10年ぐらい前に行った時は、まるで路面電車のようでいたが 今はわずかにその痕跡を残すだけでした。 その頃でも路線を走る貨物列車は見たこと無いのに踏切などがあり これは何なのだろうと思たものですが 検索してみると、長らく廃線ではなく休止線だったと…
安永6年(1777年)、豊後に生まれた太兵衛は、誤って友人を殺してしまう このことがきっかけで僧侶となり 天保9年(1838年)高野山へ向かう途中、この場所が航海の難所と知り 亡くなる嘉永3年(1850)までの毎夜山の上で火を炊き続けました。 托鉢による僅かな、収…
女子高生(たぶん)が「ここまでやっちゃう!?」「こんなのはじめて!」とか宣伝していたので 期待(何を?)してクエスト鞘ヶ谷店へお買い物 北九州高校・魚部 企画・編集 冒頭に 「そうした記録を残しておこう、市民の方々にも知ってもらおう。 どこか遠くの壮大…
こちらは、古船場町の菅原神社とは別で戸畑区にあります。 文京の祖神、菅原道真公が大宰権師(ダザイゴンノソシ)として左遷され 京都より大宰府に赴く折、当地に一泊されたと伝えられ、公没後その遺徳を偲んで建立された。 と案内板にあります。 道を挟んで…
無蓋貨車、戸畑工場にて
以前にくろがね線を跨ぐ橋に西日本鉄道と書かれた橋歴板を見かけましたが そこより、さらに小倉市街方面にある境川に架かる車道にも 路面電車廃止後は、バス専用道路でしたが、今は一般道路 その頃車道だった道路は歩行者専用に 真颯館高等学校手前に行くと…
女子高生(たぶん)が「ここまでやっちゃう!?」「こんなのはじめて!」とか宣伝していたので 期待(何を?)してクエスト鞘ヶ谷店へお買い物
モノレール旦過駅付近から見えるので 神社があるのは知っていたけど ホームページによると特に菅原道真公に何らかの所縁がある訳では無く 慶長七年(1602年)細川忠興が城下民へ信仰をすすめたのが始まりらしい。 北九州市には、戸畑区にも『菅原神社』があ…
JFL昇格時のように地階でセールやってるかな?と思ったけど 今日は行っていなくて いつもの回転台・量り売りのお菓子を買い 見習いちゃんと水環境館へ このお菓子の回転台、私が子供の頃から見るけど その頃は、もっと中央にあったのに今は隅っこと少し寂しい…
FM KITAQにて当選したプレゼントを受け取る為お出かけ FM KITAQは、九州リーグの頃からNW北九州の応援番組や スタジアムDJの方がスポーツ情報番組を放送している コミュニティーFMです
昇格条件の四位以内を前節で決め スタンドはどことなくお祭りムードの漂う試合前でしたが 試合が始まると、マジモードだ JFL最後の試合もシーズンを象徴するよう試合と結果でした ゼルビアは、前期第2節と対戦した時のままならば この試合に勝利して2位でJFL…
井戸を探していている途中で、いくつかのため池と 『旧志井小学校跡地碑』『志井鉱山開発碑』 畑の中に『恵比寿神社』と煉瓦積みのこの穴は何の跡 志井鉱山は、この近辺で石灰石の採掘を行っていた鉱山と碑の裏側に書かれていました。
前回来た時と様子が違うぞ 四人の氏子が、その年に収穫された新米を おのおの井戸で洗い清め多賀神社の神様へお供えする神事 『大御饌供進』(おおみけぐしん)が行われたのでしょうか? この四つの井戸の内、二つは前回見たので残りの二つを探す 多賀神社を…
貨車を撮りながらしばらく待ってみたけどやってこなかった
上記の廃線跡のすぐそばにこんなものが 江戸時代の1802年(享和2)、戸畑村で疫病が蔓延した際に須賀大神に祈願したところ終息し 翌年1803年(享和3)7月、村人が山笠をつくり神社に寄進 このことが戸畑祇園の始まりだそうです。 お汐井汲みは海水で山笠台の四本…
以前にみた廃線跡はここにつながっているようです 線路跡は、セメント工場に向かって延びており 以前は、貨物線の線路だったと思います。
くろがね線の戸畑側を見に行ったら道を間違えた そしたらこんな場所に出た
特急草津 SLみなかみ号 SL人吉号やSLやまぐち号に比べたら客車がそれっぽくないですね 私が高校生だった頃は、こんな客車が当たり前のようにディーゼル機関車に引かれていました。 画像は撮れなかったかったけど、上信電鉄の銀河鉄道999ラッピング電車も見れ…
スーパーひたちと名前忘れた
ありがちな話に「パパぁ、あのお城に行きたい」と子供に言われて… というのがありますが 実際、自分がお父さんになった時には、そんなお城は姿を消したなと…思っていたら 笠岡にはまだあった、残念な事に閉館されていますが
JFLよりの脱退が決まっている水島は、これが最後のホームゲーム 意外と言っては失礼ですが小雨降る寒いなかにもかかわらず 好ゲームを期待する観客で、スタンドは8割以上は埋まってる それを受けた、水島ペースで試合は始まり 水島が先制した時は、会場も盛…
予定も無ければ、天気も悪い 宮崎は、開始時間に間に合いそうに無い 地域リーグ決勝は、着いたら試合が終わってる 笠岡なら間に合う
四人の氏子が、その年に収穫された新米を おのおの井戸で洗い清め多賀神社の神様へお供えする。 この神事から、志井(四つの井戸)という地名がついたそうです。 この四つの井戸は現存していると、先日CATVで見ましたが 映像以外具体的な場所の紹介がなかった…
車両基地へ戻る回送列車以外は、1番ホームを発着する為 小倉駅側ポイントの企救丘駅側は大部分の時間この状態です 志井駅側のポイントが列車の運行に合わせ頻繁に稼働しています 見た目は、競馬場前と同じような構造に見えます 2番ホーム(画面右側レール)…